忘れたい過去
家庭の苦しみ、子供の苦しみ。
過去に僕は、子供の頃、いじめられていた、小学校2年の転校している間と中学3年までの間。
僕の今は亡き祖父が、とてもスパルタで、学校が終われば、必ず勉強。
テストで、5教科高い点数をとったんだ。
先生から、凄い点数だから、お家の人に、褒めてもらってね。って言われ、
当時小学校2年の自分だから、褒めてもらおうと、祖父に見せた。
テストの点数を祖父に見せたら、間違えがある。500点はとれて当り前。
この答えがわかるまでは、ご飯抜き。
その問題がわからないから、間違えたから、教科書を見ようとしたら、ムチ叩き。
それを見た母親が止めようとして。
祖父が母親の顔に張り手。
そして、家を父と母と妹と実家を出る事にした。
そして、転校、転校した初めは、とても友達に恵まれている。って思っていた。そして、ある日、友達と遊ぼうって約束して、遊んでいたら、その中のひとりが、遊びに来ないから。
その子に仲間に入ろう。って声をかけた。
その子と話をしていた。その日は、楽しくお家に帰った。
その次の日、学校に行った。
その日から、いじめられるようになった。まさか。その子がいじめられていた事にその時わかった。
いじめられる対象がその子から、僕になったと。
その時、親にも相談出来る状態でもなく、担任の先生に相談したら、それは、いじめられてるのではないんだ。
遊んでもらっているんだよ。って。
明らかに、子供ながら、思った。
遊んでもらってなんかない。いじめられていると。
そして、お家に帰って。
母親から、新しい学校は楽しい?って聞かれた。我が儘は、言えなかった。
転校して間もないから、また、転校するなんて、出来ないから。
母親に、うん。楽しい。って言った。
早く転校したい。って、思っていた。
そして、3ヶ月経って、祖父と父が話をして、元の学校に戻る事になった。
そして、中学までは、いじめられずに済んだ。
そして、中学に入り、同じ事が起こった。さらにいじめは、エスカレートするだけだった。
このままでは、殺されると子供ながらに思った。
そして、先生に相談。同じ答えが返ってくると思いながら相談した。
その先生は、しっかり聞いてくれた。
そして、小学校に連絡。その子達にもしっかりいじめをしないようにと。
でも、先生の見ていない所で、さらにいじめられていた。
そして、学校の帰り道、ひとりの先生に声をかけられた。
この中学から誰もいけない高いレベルの高校を目指しなさい。
そして、大学に行って、いじめを無くす存在になりなさいと。
そして、いろんな経験をして、幸せな家庭を作ろうとしていたのに、裏切られていた。
でも、僕は、怒れなかった。
怒られるのは、慣れてるけど。
それでも、自分の子供にも同じ経験ををさせまいと、自分の仕事があっても、仕事前に、子供と一緒に学校まで歩いたり、おやすみの日には、一緒に自転車が、乗れる練習したりした。
中学校では、自転車通学になるから、どうしても、必要だから。
自転車にまともに乗れたのは、小学校6年生だった。練習を始めたのは、小学校の2年生から、仕事がおやすみの時には、自転車の練習したり。
勉強は、足し算、引き算が、今だに、難しくあったりして、お買物は、一緒に行って、清算の時は、子供に払わせる練習。たまに、お釣りをもらう事を忘れて商品だけを持って、走って行ったときは、さすがに焦った。
今は、お釣りをもらい忘れる事はないけれど、小銭の計算が難しいから、お札を出して、小銭だらけに、お財布なかが、パンパンになる事もあり。
銀行に行って、まとめてもらう事もあるのは、もう少し減らして欲しいな。
常連の様、はい。まとめますねー。
って、顔を見るだけで言われるから。
普通にお金をおろしに行っても、今日は、違いますとか、毎回言う羽目になっているからね。
もう少しかな。子供に頑張っているのに、頑張って。って言えないから。
次のジャンプを大きく飛ぼうか。
ひとつ、ひとつ、ゆっくりしようか。
など、今も言ってます。
仕事が出来る様になったけど、不安は、まだまだ、あるもので。
子供の仕事先の社長さんのお話を聞いたり、仕事の態度や仕事の内容を教えて、目で確かめたりしています。
自分の仕事は、自営だから、朝早く、お日様が昇ると同時に仕事に行っては、子供の作業を見たり、聞いたり。
そして、帰れば、可愛い愛犬エースのお散歩。この時間が少しほっと出来るかな。って僕なりに想ったりしてる。
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